JAM日本機械工業労働組合

あたりまえの労働運動をやってます。

2011年04月

 JAM東京千葉の加盟労組の中に日本ブレーキがある。千葉と八王子に工場があり、八王子工場はニッキのとなりだ。さらに福島県に浪江日本ブレーキがある。それぞれ加盟産別労組は違うが、JAM東京千葉の日本ブレーキ労組の支援要請によりニッキは救援物資を集めた。
 浪江日本ブレーキは福島原発の周辺に位置し、放射能汚染により立ち入りが禁止されている。地震と津波で多くの労働者が職場を奪われたが、原発によっても職場を奪われていたのだ。
 組合員が持ち寄った千葉への避難者のための物資は、4月22日に千葉県連事務所に送られた。労働組合の連帯と団結がさらに必要だ。
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 4月22日に組合3役で仙台営業所を訪問した。福島まで新幹線が開通していると聞き、急遽、実施した。仙台駅に着くと、それほど被災しているようすは無かった。
 そして仙台営業所に着き、組合員と震災当日のようすを聞いた。当日は全員がバラバラに点在しており、震災直後から連絡が付かない状態で、電気や水道が止まる中、家族の安否確認に走ったと言う。当日の夜は雪が降り、寒さに震えながら、ラジオから聴こえてくる震災のようすに怯えていたと言う。沿岸部では孤立した人たちがメールでようすを報告し、救援を求める緊迫した状況だったらしい。
 営業所全員がお互いの安否を確認できたのは、日曜日に営業所に集まったときだと言う。その後も、余震に怯える日々を送りながら、被災した消防署を訪問したりしたのである。組合員は言う「自分たちは家があるが、沿岸部はもっと悲惨だ。ぜひ見て来て欲しい」と。
 1時間あまりの懇談後、組合3役で地元の労組の案内で仙台空港周辺を見て回ったが、そのにある風景に唖然とした。津波に押し流され、地平線の果てまで何もないのである。目に付くのは、残された家や残骸が点在するのみだ。しかも、津波を受けていない地域は、見た目は何もなかったように存在しているのである。その差にまたショックを受ける。
 広大な被災地を見ると、個人の力では再建は難しいと感じた。社会的な力が必要であり、労働組合の連帯と団結が必要なのだと感じた。
 
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 4月4日、春闘妥結の臨時大会が開催され、80人の組合員と共に春闘総括を確認した。大会の冒頭には、春闘期間中に起きた東日本大震災の犠牲者に対しての黙祷(写真)が行われた。
 書記長が春闘の経過報告と総括を提案。組合員の闘う姿勢と団結が回答に結びつき、前進を勝ち取ったことを総括し、東日本大震災と対決する春闘であったと振り返った。
 議案を全員の拍手で確認した後、委員長より「合理化と対決してこれからもがんばろう」と挨拶があって大会を終えた。
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