先人の苦労を知る

 1月22日で組合は結成75年を迎えた。2月16日には全従業員に記念品として「スマホに充電できるダイナモ」を配布したところだ。↓

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 日機労組は戦後の焼け野原から生きるために、「日本機械工業株式会社八王子工場従業員組合」としてつくられた。結成してすぐに、基本給の50%UPを要求していることからもそれが分かる。親会社よりも早く結成されていることから、日機の労働者の自主的な結成だったようだ。

 1946年結成大会記録


組合員の生活のため、厚生部事業も早くから取り組まれ、商品を調達したり、月賦販売や物資のあっせんをしていたのである。今も、組合事務所に売店があるのはその名残だ。


1956年従業員組合大会2


 日機が1950年代に経営不振に陥り、運転資金が枯渇し、賃金や一時金の遅配が起きた時も、組合は創立されたばかりの「労働金庫」から資金を借りて会社に支払わせていたのである。10年間も毎月、組合が労金に借入金と支払いを繰り返したのであった。

もはや、このことを知っている者は少なくなっている。会社を裏で支えたのは、いつも労働組合だったのである。賃上げを見送ったり、残業の無給奉仕もやっていたのである。

 

闘う全金に加盟

だが整理解雇がだされ、危機が深まった時に、「守勢から攻勢に」と闘う方針が生まれ、61年に総評全国金属労組に加盟したのである。

労使協調の企業内労働組合から産別労組として、全金日本機械工業支部として再生したのだ。60年代から70年代を戦闘的に闘い、産別と地域で有名になったのである。同業の日本造機とポンプ労連を結成したり、三多摩合同労組の副委員長を担ったりして、中小労組のために奮闘したのであった。

1961年全金加盟
1961年組合初のスト突入2

 

歴史を引き継いで

先輩たちの闘いによって、日機の労働組合は歴史を刻んできた。99年に金属機械労組からJAMとなったが、20春闘でストライキを打ったように、その戦闘性と原則性は失われていない。

 21世紀になってからも、はしご車の事故や工場移転問題、債務超過による賃金カットなど、会社の危機のたびに組合は、組合員の立場から闘ってきた。時代は今まで経験したことのないコロナ禍にあるが、決してあきらめず、不屈に闘ってきた歴史を引き継いでいく。

75年と言う節目を大切にし、あたらしい日機労組を生み出していこう。

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