4月22日に組合3役で仙台営業所を訪問した。福島まで新幹線が開通していると聞き、急遽、実施した。仙台駅に着くと、それほど被災しているようすは無かった。
 そして仙台営業所に着き、組合員と震災当日のようすを聞いた。当日は全員がバラバラに点在しており、震災直後から連絡が付かない状態で、電気や水道が止まる中、家族の安否確認に走ったと言う。当日の夜は雪が降り、寒さに震えながら、ラジオから聴こえてくる震災のようすに怯えていたと言う。沿岸部では孤立した人たちがメールでようすを報告し、救援を求める緊迫した状況だったらしい。
 営業所全員がお互いの安否を確認できたのは、日曜日に営業所に集まったときだと言う。その後も、余震に怯える日々を送りながら、被災した消防署を訪問したりしたのである。組合員は言う「自分たちは家があるが、沿岸部はもっと悲惨だ。ぜひ見て来て欲しい」と。
 1時間あまりの懇談後、組合3役で地元の労組の案内で仙台空港周辺を見て回ったが、そのにある風景に唖然とした。津波に押し流され、地平線の果てまで何もないのである。目に付くのは、残された家や残骸が点在するのみだ。しかも、津波を受けていない地域は、見た目は何もなかったように存在しているのである。その差にまたショックを受ける。
 広大な被災地を見ると、個人の力では再建は難しいと感じた。社会的な力が必要であり、労働組合の連帯と団結が必要なのだと感じた。
 
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